サウジアラビア回想
<1994年サウジアラビア駐在時の随想を原文のまま転載> アジア的自然感と中東におけるそれとでは根本的に相違があって当然と考えるが、果たしてそうなのであろうか。 アジアにおいては太平洋性気候によりもたらされる十分過ぎる降雨、それに育まれた緑豊か…
<1994年サウジアラビア駐在時の随想を原文のまま転載> 首都リヤドから東部アラビア湾に面するアルコバールまで車を駆って往復することしばしばであるが、片道400Km、所要3時間超の土漠行はさしも文明の利器にても疲労困憊す。道行き目を楽しませてくれるも…
<1994年サウジアラビア駐在時の随想を原文のまま転載> 過去へのタイムマシンに乗りたければサウジアラビアへ来い、未来のタイムマシンは東京にある、と常々考えている。 サウジアラビア王(初代、第7代) この両極端を行き来する自分がSF小説の主人公の一…
西欧諸都市に遺る教会建築はどれをとっても荘厳にして威圧的であり、とても好きになれません。 ゴシック建築の粋なぞと賛美するような代物では決してないにもかかわらず、皆して休暇旅行の機会に訪れ、さぞや素晴らしいと嘆息し、自国の貧相な現代建築に思い…
<1994年サウジアラビア駐在時の随想を原文のまま転載> 火の海というべきか、黄金色の海というべきか、砂漠の上に忽然と輝き現れるリヤドの夜の俯瞰は、おそらく宇宙都市を想起するに相応しいのであろうが、むしろ歴史に燦然と足跡を残したイスラム帝国の王…
筆者は1991/6 ~ 1995/1の間、湾岸戦争終結直後よりサウジアラビアの首都リヤドに駐在した。この時に綴った随想(*)を書架の奥に放置していたことを思い出した。何分、若い頃に綴ったもので読むに堪えない部分もあるが、そのままをここに転載し、当時の日々…
薄汚れた手荷物一つを小脇に大事そうに抱え、安っぽい皺だらけの長袖シャツを押し込んだよれよれのズボンは腰がちぎれんばかりにベルトできつく締めつけられていて、おろおろするばかりの浅黒い肌をした痩せた少年達。スカーフで髪を深く被い隠し、他人に肌…
アラビア半島の東西の沿岸地域はいずれも冬期を除けば湿度が尋常ではなく高いが、リヤドは通年を乾燥しきって灼熱下でも汗さえ存在を許されない。極寒の極地で瞬時に水が氷るがごとく、この地では水分は瞬時に蒸発してしまう。急に息を吸い込もうなら即座に…
1990年代初頭、今日もまた善男善女が曳かれていく。 視界を遮るものとてない殺伐たる赤茶けたあるいは灰褐色の不毛の土漠の果てに、今日も一日ひたすら地表のものすべてと大気を焼き尽くしてきた白色の太陽が、漸く(ようやく)橙色に色を和らげて、地表に…