海の向こうの風景

地平の更にその海の向こうに生きて来た日々

海の外に憧れ、そこにひたすら生きて来た。五大陸、四十数ヶ国に旅し、途中、サウジアラビアと米国に約八年間住み着いたものの、年月を重ねると望郷の念、止み難し。その四十有余年を振り返り長い旅を終えることとした。

伏流水 アメリカ回想(1)

 2000年を迎えた時、”新世紀”に”新生活”が始まる、そう思いたかった。人の人生でそうそうあるタイミングではない。この年の6月、ニューヨークに赴任した。実際は、2000年は20世紀最後の年で、新生活は”世紀末”に始まったと言う訳だ。この一年差は微妙である。一般的に”世紀末”はいい意味には使わない。仏教には”世も末”という末法思想がある。同じタイミングをいう訳ではないが、ともかく、あまり縁起が良さそうにない。

 

 兎も角も21世紀の初めての年はニューヨークで迎えた。さあ新世紀の始まりだ。果たして縁起は良くなかった。この年、世界を震撼させる未曾有の大事件が発生した。全米の全ての航行中の旅客機に強制着陸命令が出された。9月11日、同時多発テロ事件である。国際貿易センタービルに二機の旅客機が次々に突入、同ビル北棟、南棟の2棟が倒壊した(”倒落”の印象が強い)。筆者は二機目が突入してくるのを事務所のテレビの生中継で見た。映画ではないかと暫くは現実感覚を失くした。時をおかずペンタゴンにも一機が突入、残り一機はペンシルベニア州で墜落した。アメリカはイスラム過激派アルカイダによるハイジャックと結論、この年、ブッシュはアルカイダを匿うアフガン侵攻を決定、翌年実行しタリバン政権は崩壊した。この間、アメリカは準戦時体制にあり、テロの犠牲の大きさに人々の沈鬱状況が長く続いた。

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 奇しくも十年前、1990年8月にイラククウェートに侵攻、同国を併合した。国連は多国籍軍の派遣を決定、翌年早々湾岸戦争が始まった。アメリカはサウジアラビアに米軍を駐留させ、イラクへの爆撃と地上軍による侵攻を開始した。このイスラム教の聖地メッカのあるサウジアラビアへの異教徒の軍隊の駐留が火種になる(オサマ・ビン・ラーディンはサウジアラビア人である)。

 

 筆者は戦争終結直後の1991年6月にイラクの隣国サウジアラビアの首都リヤドに赴任した。未だイラクスカッドミサイルは首都リヤドに照準を定めていた。リヤドのそこかしこにはスカッドミサイルの着弾跡が散見される状況で、サウジアラビアも未だ戦時体制を完全には解けてはいなかった。クウェートイラク軍に破壊された油井から立ち上る黒煙で日中も太陽が届かなかった。アラビア湾沿岸は流出した油が黒々とのたうち、数々の生命が息絶えた。

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 リヤド駐在とニューヨーク駐在、いずれも10年を挟んで6月に着任、望んだ訳ではないが両国でアラブの戦争に立ち会ったようなものだ。この10年間、アラブに米軍が撒いた火種が成長しつつあった。それが伏流水となりアメリカで噴出したことを理解したのは、摩天楼の倒壊を目の当たりにし、アメリカがなんとか平静を取り戻した時だったような気がする。アメリカの人々にもその事実を冷静に見つめる時間が必要だった。

 

 全ては石油に帰結する。西欧資本とOPECの談合である。異論はあろう。政治はこれを民族主義に変換し、民族主義者がイスラム大義をソフトウェアとして実行したという事である。ただアラブ問題は根が深い。西欧とアラブ世界の間の不協和は少なくとも11世紀に始まる十字軍まで遡及せざるを得ない。いや更に8世紀に始まるレコンキスタの時代までかも知れぬ。とても付き合いきれない。

 

 アメリカは多民族国家である。サウジアラビア多民族国家である。アラブ人は至る所で生活している。筆者は何処のアラブ人も大好きである。但し、宗教には全く無頓着である。日本においておや、である。

 

 リヤドではイラクに傷められた湾岸諸国のインフラ復興に商機を開拓する使命を受け、米国では現地会社の再建を担わされた。だが米国の戦時体制は経済成長を阻害、景気は後退した。いずれもなかなかに気苦労の多い使命ではあった。これを人生の不運と考えるか人間成長への試練と考えるかで人の歩み方も変わってくるのであろう。悲嘆はしなかった。今思えば筆者は後者の道を辿れたように思う。

 

 伏流水は今も流れている。何処に噴き出すか分からない。そういう世界にしたのは紛れもなくアラブの大義以上に西欧の大義によるのではないか。両駐在国には家族を帯同した。どちらかと言えばアメリカよりはサウジアラビアの方が好きだ。単純な見方だが素朴な人々が好ましい。家族の全会一致である。何もアルカイダを恐れているからではない。