海の向こうの風景

地平の更にその海の向こうに生きて来た日々

海の外に憧れ、そこにひたすら生きて来た。五大陸、四十数ヶ国に旅し、途中、サウジアラビアと米国に約八年間住み着いたものの、年月を重ねると望郷の念、止み難し。その四十有余年を振り返り長い旅を終えることとした。

コーランの音色に魅せられて リヤド徒然記(1) 1994.01.06記

  筆者は1991/6 ~ 1995/1の間、湾岸戦争終結直後よりサウジアラビアの首都リヤドに駐在した。この時に綴った随想(*)を書架の奥に放置していたことを思い出した。何分、若い頃に綴ったもので読むに堪えない部分もあるが、そのままをここに転載し、当時の日々を振り返えってみることとした。若気の至り、不適切な表現もある点はご容赦を賜りたい。

  *外国人居住区のコミュニティ誌への投稿文(当時のまま)

 

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 例えば恋人に耳元で囁かれる甘き誘惑の千言がごとく、アラビア語の持つその言葉の美しさ、響きのよさはどうだ。時として官能の淵へと突き落とされかねない。著しく鼻孔に障害があるのか、はたまた気管支炎を患っているのか、不快感甚だしいあのフランス語の及ぶところでは断じてない。

 

 ことメッカのモスクから(テレビを通じて)流れてくるお祈りの呼び掛けの声に(注2,3,4)、たとえようもなく純化した精神の発露を感じ高揚する。高く吟じ上げ、一旦、トーンを下げ、また吟じ上げるあの抑揚感、いい。毎日響いてくるリヤド近辺のものとは物が違う。性根の入れ具合が違う。そこには事務的なものと献身的なものとの差を感じて止まぬ。

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 お祈りの時間になれば、とにかくテレビの前に釘付け、目をつむり静かにその始まりを待つ。そしてあの声色が耳に届き始めれば、もはや陶然として忘我、至福の境地である。

 

 テレビの宗教の時間がこれまた実にいい。ウラマーイスラム教神学・法学者)が吟じるコーランの読経の音は格別の趣があり逸品である。パバロッティもいい、ドミンゴもいい、カレーラスもいい、が、残念ながら精神性においてこれに遥かに及ばない。

 

 アラブ人はイスラム以前の未開の民の時代から誌的な言葉を持ち、優雅繊細な韻律、韻詩を有していたといわれるだけあって、その継承がここにきて花開いた感じである。ロックやクラシックを耳にする以上にアラブ人にとってはその言語そのものが音質的に、また、詩的センスの面で、はるかにそれらに優れたものなのである。それは西欧が初めて出会ったアラブの音楽や詩文の様式に目を見張り、取り入れていったことに証明されている。ダンテ以降の西欧の詩人達は、まさにリズムと韻を追い求めてきたアラビア言語の本質そのものに頭を垂れざるを得なかったのである。

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 モスクから流れてくる男性ソプラノ(テノールかもしれない)に感じ入りながら、女性ソプラノにてもこの声色を聴いてみたいものだと思いつつ(注5)、今はただ、ボーイソプラノ(注6)にて我慢する。サウジ人にコーランのカセット(今は骨董品になった)をもらい、嬉々として初冬の夕暮れ。      

     

                           (ベドウィン茶坊主

 

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(1)サウジアラビアにはイスラム教の聖地、メッカとメディナがあり、国王がその保護者。

(2)イスラム教徒には五行が課されていて、信仰告白、礼拝、喜捨、断食、巡礼がそれである。

(3)礼拝は一日五回、そのたびに仕事を止め(店を閉め)モスクに行き礼拝する、太陽の位置により礼拝時間が決まる(夜明け、日の出、昼過ぎ、日没後、就寝前)。

(4)テレビでは常時メッカのカーバ神殿の映像が生中継されている(礼拝、巡礼の様子が映し出される)。

(5)当時は女性に対しての制約が極めて多かった(肌や髪を隠す、一人で出歩かない、運転禁止、家族以外の男性との会話禁止、等々)。

(6)コーランは音楽性を帯びており、年一回、全世界のイスラム教徒の少年達のコーラン読経大会がある、その声はウィーン少年合唱団の比ではない(と、当時は思ったものだ)。

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