海の向こうの風景

地平の更にその海の向こうに生きて来た日々

海の外に憧れ、そこにひたすら生きて来た。五大陸、四十数ヶ国に旅し、途中、サウジアラビアと米国に約八年間住み着いたものの、年月を重ねると望郷の念、止み難し。その四十有余年を振り返り長い旅を終えることとした。

黄金色の王城、豊穣の地 リヤド徒然記(2)1994.01.13記

<1994年サウジアラビア駐在時の随想を原文のまま転載>

 

 火の海というべきか、黄金色の海というべきか、砂漠の上に忽然と輝き現れるリヤドの夜の俯瞰は、おそらく宇宙都市を想起するに相応しいのであろうが、むしろ歴史に燦然と足跡を残したイスラム帝国の王城の復活を思い浮かべないでもない。カリフ体制の崩壊後七百年を経たものの、化学・文芸の興隆の欠片もないのは至極残念なことではあるが。

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サウジアラビアの首都リヤド

 この輝くばかりの豪奢の王国についての後世の歴史評価は、おそらく特段の記述を要するものでもないのであろうが、その金満大国振りは我が日本国と共に特筆されているかもしれない。彼らはそれでも弁解の余地があろうというもの。アラブ人よ、この世の春を謳歌するがいい。歴史的空白地帯に住んでいたベドウィン謳歌している図は少々考えこんでしまうにしろ、その祖先の業績を考えれば、我々はそれでも還し足りない程の恩恵を受けてきたのであるから。

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イスラム最期の王朝 アルハンブラ宮殿グラナダ

 確かに、この地は豊穣の地に違いない。汲み尽きぬ油、これがもたらす文明の利器と豊かな暮らし。過去にイスラム文明が人類に残した、余りある遺産の金利の後払いとして、現代に豊穣の油という形でその子孫達へ支払われていると考えれば歴史的視点で得心もいく。王城は栄え、民は楽しみ、同じ金満国の我がジパングとは何と格差があることか。

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石油精製プラントと洋上石油開発施設

 はて、古来、国が栄えると文芸が興り、文化が花開き、あまねく八紘へと波及していったものであるが、この王城からはその微光さえ漏れてこないのは何故か。文芸、文化は人間の精神の豊穣から生じるもの。如何せん、この王国は豊かな精神を育む為の社会システムが備わっていない。

 

 豊穣の地は、古来、民族が汗して切り開いた所産としてもたらされたものではなく、忽然と目の前に現れたことがそもそも彼らの不幸であった。むしろそれは、それ以前の精神性を超えて自らを向上させることまで妨げてしまった。

 

 楼蘭のごときロマンを謳われることもなく、この王城もまた、砂に消え去っていくことは紛れもない事実であろう。

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                      (王城の語り部