海の向こうの風景

地平の更にその海の向こうに生きて来た日々

海の外に憧れ、そこにひたすら生きて来た。五大陸、四十数ヶ国に旅し、途中、サウジアラビアと米国に約八年間住み着いたものの、年月を重ねると望郷の念、止み難し。その四十有余年を振り返り長い旅を終えることとした。

そはドイツ

 “ドイツ平原”という。在職中、最も足繁く訪問した国にある。その国土は南のアルプスから北の北海、バルト海に向けてなだらかに傾斜し東西に広がっていく。広大な平地である。

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 北部海岸は海水面すれすれの低地で北海側の沿岸を特にワッデン海という。引き潮時には水平線の向こうまで干潟が現れる。氷河期には北海の殆どが陸地になった。

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 この大平原の川筋、起伏のある谷地に中規模な都市がバランスよく散在する。ドイツにはベルリンを除けばいわゆる巨大都市は無い。日本のように都市に人口が集中するという事もない。16の州からなる連邦国家であり、それぞれが独自の生活文化を維持している。それぞれの地域、都市で色合いが違う。だから何処を訪れても飽きない。もっとも世界には連邦国家は意外に多い。

 歴史的にも今のような統一ドイツであった期間は少ない。国境線は政治情勢によって都度、変化した。何しろ欧州のど真ん中に位置する国であればやむなき事である。フランク王国時代を除けば、神聖ローマ帝国時代に最大の版図を有した。

 

 ケルン、エアランゲン、ニュルンベルクミュンヘン、フランクフルト、デュッセルドルフハイデルベルク、ベルリン、シュツットガルトドレスデンバイロイトブレーメン、主要な都市はほぼ踏破した。これほど多くの地を訪れる事になるとは予想もしていなかった。ビジネスとはいえ異例なケースかもしれない。これに私的な訪問を加えると、ドイツ全土を概ね制覇したことになる。日本国内でも流石にここまでの訪問機会は公私を含めてない。だから異例だ。

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 移動の多くは鉄道あるいは車になる。ドイツ平原は広大である。ただ広大だけではない。鉄道であれ、車であれ、車窓は何処でも絶景である。自然に溢れ、過ぎ去る町々が美しい。人と自然が調和的に共生している為に兎に角美しい。この美しい国が戦時には連合国に徹底的に空爆で破壊された。これを元の通りに復元した。破壊の断片はほぼ煉瓦である。燃えない。拾い上げて組み上げた。地道な作業である。ドイツ人らしい。フランス人や英国人では多分こうはいかない。

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 大聖堂で有名なケルンへの訪問がもっとも多い。数え切れない。元々ローマ帝国の植民都市だった。だからケルンという。ライン川の左岸に街を作った。当時の遺跡も出る。発掘されたグラスが再現されて土産物屋に並ぶ。ライトブルーの質素な磨りガラスのゴブレットに紀元前のローマ兵の酒盛りを思った。ガリア対策の前線基地でありローマ人にとっては北の未開地だった。このライン川を右岸に渡河すれば異人の土地に踏み入る事を意味した。近世にはマリーアントワネットがこの上流のエピ島でそのガリアの地からハプスブルク家の手を離れブルボン家に手渡された。その時もこの大聖堂は未だ完成を見ていない。19世紀末の完成まで600百年を要した。この国にしては呆れた所業である。

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 ニュルンベルクが次に多い。ワグナーのオペラ曲”ニュルンベルクのマイスタージンガー”の舞台である。今も中世の城壁に囲まれた美しい街である。厚い城壁の中にはかつての兵士の待機部屋があって、今はレストランとして中世の雰囲気の中、食事を楽しむ事が出来る。街の北の最も高い丘の上に堅固なニュルンベルク城を頂く。街の内外が一望出来て絶景である。歴史的に重要な役割を担ってきた。神聖ローマ帝国の最初の首都となった。第二次世界大戦戦争犯罪人の裁判でも名高い。元々ナチスがここで党大会を開いたこともあり、連合国の空爆は必然だった。この街も復元された。

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 印象的な都市としては旧東ドイツの古都、エルベ川のほとりにあるドレスデンがある。ここも連合国の空爆で徹底的に破壊されたが、欠けたピースを拾い集めて元の都市を再生した。聖母教会の復元が有名であるが、訪れた時は復元されて未だ年月も浅かったからか違和感を覚えた。あのノイシュバンシュタイン城と同じく、遠くから眺めると素晴らしいが近寄ってみると幻滅した。内部はもう昔を想像することさえ諦めざるを得なかった。古ければいいというものでもないのだろうが、古い方が感動を呼び起こす事は間違いない。幸いにもマイセンで出来た”君主たちの行列”の壁画は奇跡的に破壊を逃れ残っていた。ドレスデン歌劇場、別名ゼンパーオーパーは一見の価値がある。ミュンヘンからここまでは列車を利用した。約460km、4時間はゆうにかかる。流石ドイツ平原である。この間、ほぼトンネルらしきものにお目にかかれなかった。ただ旧東ドイツ側に入ると光景が一変、未だ共産党時代の面影が滲んでいた。ドレスデンも何だか裏寂しさを感ぜずにはいられなかった。時が遅れて進んでいるようだった。ロシアと同じ匂いがした。

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 主要都市周辺の町々も時間が許せば足を伸ばした。こぢんまりとして魅力的な町が多い。ドイツ平原の冬は曇天の陰鬱な日々が続く。ただクリスマス期間中は何処も華やぎが戻る。クリスマスマーケットでは恒例のホットワインを何処でもよく飲まされた。

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一方で工業大国であることも見せつける。博物館にその意識があらわれる。ミュンヘンの産業博物館、シュツットガルトのポルシェ・ミュージアム、だけでも一日を潰せる。

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 この国の人との肌合いは合った。フランスとはそうはいかない。英国はこの中間にくる。文学、音楽では特に尊敬して止まない国でもある。圧倒される文化がある。バッハ、ベートーベン、ワグナーはその時代の音楽界の革命児であろう。文学はゲーテ、シラー、ハイネに始まり20世紀に巨星が零れ落ちてくる。カント、ヘーゲルニーチェカール・マルクス、マックス・ウェバー、思索好きも溢れんばかりである。その自信過剰が二度の世界大戦まで行き着いてしまった。

 

 ドイツは食事も美味い。フレンチのような気取ったところがない。ただただ庶民的である。ビールは言うに及ばず、ワインも美味い。アイスバイン(塩漬けの豚のスネ肉)と地元ソーセージは食さない訳にはいかない。春が近づくと大振りのホワイトアスパラガスが食卓を賑わす。ドイツではこの時期だけの季節の自慢料理である。取り立てて美味という訳でも無いが、日本と違い、この国では野菜や果物が未だ季節を喪失していない。

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 ドイツ人は機会があれば日がなビールを飲む。彼らはビールを食すという。付き合いきれない。でも嫌いにはなれない国と人々だ。だから胸襟を開ける友も出来た。ただ学生時代に旅した当時に比べ、ドイツ女性は素朴さを失い随分と怖くなっていた。友人も同意する。だからという訳ではないが、この国の男達はこぞってタイ女性を妻にする。多分、あの微笑みの意味を知らないのだ。