<1994年サウジアラビア駐在時の随想を原文のまま転載>
アジア的自然感と中東におけるそれとでは根本的に相違があって当然と考えるが、果たしてそうなのであろうか。
アジアにおいては太平洋性気候によりもたらされる十分過ぎる降雨、それに育まれた緑豊かな自然、その恵みは人々にとり古来余りあるものとなってきたが、それ故に自然は時として最も畏怖すべき対象となり、深山幽谷には精霊が棲み、たたり無きよう祀るのが当然の営みとなった。
地の神、水の神、山の神らの存在は幼い頃より身近に感じ崇めてきたもので、山に入れば山の神の存在を感じ、幽谷の滝壺には水の神を感じて育ってきた。それが古来、日本の子らに共通の体験ではなかったか。日本ではまさに神道の起源であろう。
かようにアジアの人々にとり自然は恵みをもたらすが故に畏敬されてきたが、果たしてこの殺伐として僅かな恵みさえ与えようとしない中東の自然とは、人々にとり、どのように捉えられてきたであろうか。よもや精霊が棲む神秘性は感じようもなかったであろう。自然は常に過酷以外の何物でもなかったに違いない。
農耕による十分な恵みを得てきたアジアの民、狩猟に恵みを得てきた西欧の民、農耕にも狩猟にも恵みを求められない中東の民は、勢い直接人間に恵みを求めていく。
よって人々は得べきもののない自然から離れ、人間そのものを利害のすべての対象としていったのではないだろうか。果たして、恵みを与えてくれるものは、自然からの収穫とは程遠い略奪という行為となっていく。アラブの隊商の実態は強盗でもあった。イスラムが成立し、人間関係論の奥義として広く人々に伝播していったのも故無しとしない。
ならば何故に中東の人々は恵みを与えてくれる、祀るべき対象もない砂漠をこよなく慈しむ風であるのだろうか。過酷な自然環境にあって、夜陰、月影こそが安息という恵みを与えてくれる崇めるべき唯一の自然であったことは察しがつくものの、夜が巡り来れば、またぞろ砂漠に出でて嬉々として宴を始める。彼我の自然観、宗教感の相違は未だしかとは確かめ得ない。
砂漠の霊媒師
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