海の向こうの風景

地平の更にその海の向こうに生きて来た日々

海の外に憧れ、そこにひたすら生きて来た。五大陸、四十数ヶ国に旅し、途中、サウジアラビアと米国に約八年間住み着いたものの、年月を重ねると望郷の念、止み難し。その四十有余年を振り返り長い旅を終えることとした。

西欧人をいじる密やかな楽しみ

 フランスを書く気になれない。彼我の心理的な乖離が大き過ぎるからである。気が向いた時にしよう。

 欧州にも白人と非白人地域がある。それでも相互に複雑な思いを抱いているがうまく対処している。アルプスの北は概ね白人地域と言っていいだろう。その南、あるいは地中海沿岸は、どちらかと言えば非白人地域である。長い歴史の中で周辺の文明との間で人種が混合した。歴史を動かす主体がそこにあるとそうなる。そこはギリシャ、ローマ、イスラムオスマントルコ、数々の文明が興隆した表舞台である。これに対してアルプスの北側は文明の光が当らぬ僻地であり、人類の長い歴史の中で歴史舞台になったのはやっと近世になってからである。歴史はたいして長くない。それまで大規模に文明と交わる機会がなかった。その癖、今や優性人種面(づら)をする。その極がフランスだと思っている。フランス人が100%白人種かどうかは議論もある。

f:id:Bungologist:20210607103710p:plain

 イギリス人、ドイツ人、フランス人、イタリア人とは公私にわたりよく会話した。四者と同時に会する機会は流石になかったが二者と一緒に会する機会は多かった。イタリア人は白人としての意識が低いからか以下のような話にはあまり乗ってこない。残りの三者はそれぞれに西欧諸国にあって自国が一番との自負がある。だからその国民性についてよくいじらせてもらった。それぞれの自尊心をつつくのが面白かったからだ。

f:id:Bungologist:20210607103758p:plain


 同じ様な話を耳にしている読者もいるだろうが、秀逸だと思った会話がある。この三者(英、独、仏)の中で一番面倒な国、一番付き合いたく無い国、は何処だとよくからかった。イギリス人とドイツ人がフランス人だと即答するのはわかっていた。フランス人の発言が秀逸だった。出来ればこの地上から一番いなくなって欲しいのはフランス人そのものだ、と自嘲した。妙に腑に落ちた。

f:id:Bungologist:20210607103834p:plain


 イタリア人は密かに自国が一番だと思っているが決してそれを口にしない。偉大なローマ帝国の末裔との意識が強い。ギリシャ文明の継承者との意識もあるだろう。ただ、かつて南部イタリアはギリシャの植民地でもあった。ひょっとしてもっと歪んだ精神状態にあるのかもしれないが窺い知ることは出来なかった。真面目でないことだけは確かである。

 ただイギリス人のことを他の三者アイランダー(島国民)と呼び、大陸側の人間と区別する。同じ大陸人とは異質な奴らだと思っている。同じアイランダー(島国民)としてイギリスがEUを脱退した気持ちがわからぬでも無い。

f:id:Bungologist:20210607103909p:plain


 もっともそれぞれにお互いの存在価値を認めてはいる。ただもっとも大人はイギリス人だなと感じたことも確かである。そのイギリスも更に複雑な民族構図を持つ。スコットランドでありアイルランドである。特にアイルランドは歴史的にはイングランドに虐められたからスコットランド以上に反目や疎外感が深い。スコットランドは自尊心が強くイングランドがてこずっているのは周知のことである。

 ドイツ人は自ら田舎者だとの自覚はあるがそれがどうした、と矜恃を見せる。フランス人はビジネスで対抗する意欲はとっくに無い。芸術と農業大国でいいじゃ無いか、である。フランスだけが自給自足出来る、何か文句でもあるか、という太々しさがある。それぞれに立ち位置を確保している。だからお互いの比較はやらない。自己満足の為に相手を利用することはやらない。多様性は刺激的で必要なものである事をよく理解している。

f:id:Bungologist:20210607103957p:plain


 逆に彼らにはよく言われた。お前は本当に日本人か。少なくとも日本人にはお前のような奴はいない。謙虚で慎み深いのが日本人だと思っている。もっとも韓国人と日本人は同じようなものだと一笑に付す。結局、どうでもいいのだ。だからこっちも好き勝手にものを言うことになる。その時は奴らは掌を返して連帯する。

 

 言葉もそれぞれの国民性のイメージに影響が無いとは言えない。イギリス人の英語は何だか小馬鹿にされているようで癪に触る。米語のような庶民性をまるで感じない。仏語になるともうこれは自分の咽喉まで違和感が伝染してくるようではっきり喋れと言いたくなる。独語はいちいち念押しされている様で真面目な会話しか出来なくなりそうである。伊語は聞いているとつい腰が浮き上がって来るようなリズム感を押し付けてくる。いずれも全く個人的な印象である。

 因みに彼らに言わせると、日本語は機関銃を発射しているような抑揚感のない機械的な音に聞こえるそうだ。

 それぞれが英語で喋ってもそっくりそのままの母国語の喋り方になって、決してそれから脱却することがない。イギリス人は、この異様な発音に変質した母国語をどの様に聴いているのだろうといつも思う。もっとも彼らの同胞が日本語を喋る時の我が日本語の変質を聴くのと同じ感覚なのだろう。その発音を聴けば、英語であろうとまず何処の国の人間かを間違えることはない。

 

 さて東アジアはどうであろう。中国人、韓国人、日本人である。西欧に比較すると残念ながらこちらは未だ大人になれていないような気がする。西欧人のように面前でお互いをからかうような事が出来ない。差別や比較を極端に嫌う癖に、それをよくやるところが中々に複雑な心の有り様である。個々にはいずれも付き合い易い人々なのであるが、どこかでお互いがきわどい発言には躊躇し自制してしまうのである。何がこの差を生むのかは分からない。まあ侵略は良く無い。我々東アジア人の遺伝子に一様に重いものが組み込まれてしまっているような気がする。

f:id:Bungologist:20210607104042p:plain


 もっとも日本人は日本国内においても隣人との比較をよくやる。最も幼児なのかもしれない。

f:id:Bungologist:20210607104137p:plain

進化の過程