海の向こうの風景

地平の更にその海の向こうに生きて来た日々

海の外に憧れ、そこにひたすら生きて来た。五大陸、四十数ヶ国に旅し、途中、サウジアラビアと米国に約八年間住み着いたものの、年月を重ねると望郷の念、止み難し。その四十有余年を振り返り長い旅を終えることとした。

古人も多く旅に死せるあり

 日が長くなり、初夏の青空とそこに浮く片雲を眺めていると無性に旅に出たくなる。若い時は必ずそうしたものだ。片雲の風に誘われて遠く見知らぬ地に何か夢を拾えるような気がしたのである。

 この歳になると流石にそれを求める訳にはいかない。無論、腰も挙がらない。ただ、若かりし頃を思い出し、その時の微かな胸のときめきが蘇ってくる位は構わぬではないか。この先、そういう甘くときめく心が戻ってくる可能性は、寂しいかな、まず無いのである。男はいつになってもウジウジと、あの時に戻れたらと、過ぎ去った日々に思い描いた事どもを、さもそれが今でも再現できるような錯覚を甘受することが可能な、始末の悪い生き物なのである。

 旅に出よう。初夏の旅が何よりいい。心があの空に向かって飛翔していく。ああ若き日に、あの山に置き去りにした、北の大地に置き去りにした、あの気持ちが時の彼方から甦ってくるようだ。君は今何処に住む。

f:id:Bungologist:20210612094956p:plain


 ジュネーヴに降り立つと風が薫ってきた。牧草の匂いが混じる緑の薫りがたっぷりと含まれた匂いだ。ここからは全て鉄道の旅がいい。スイスは国そのものが国立公園のようなものだ。次々に飛び込んでくる車窓の景色に右を向き左を向き飽きる事は無い。重い荷物も行く先々に纏めて送っておけば、いつでもどの駅でもピックアップ出来る。全てのシステムが旅人本位に出来ているのだから快適そのものだ。涼やかで凌ぎやすいからスイスでは夏でもホテルに冷房が無い(今は知らない)。時に暖房を必要とする。

 スイスの公用語は四つある。独語、仏語、伊語、それにロマンシユ語である。国民がその全てを喋れるとは思わぬが英語も準公用語のようなものだから、何だか住むのが躊躇われる国だ。この国ではその国民性のいじり方に頭を悩ましそうである。

 

 ジュネーヴは仏語圏である。多分、この地に住む人達は、心は同じ言葉を持つ隣国にあるに違いない。欧州では国境は度々変更されて来た歴史があるのだから、今はこれでよしとしているのであろう。ベルギーもベルギー語、仏語、独語が公用語だ。小国の宿命なのである。この国の首都ブリュッセルは、筆者にとってビジネスの最大の転機となった深く人生を考えさせられた、いわく言い難い街である。そう言えば、ここからパリまでTGVに乗った。

 レマン湖畔ではシオン城のある東方のモントルー辺りまで何処でもアラブ衣装の人々が屯(たむろ)している。ヨーロッパはアラブ世界にとっては身近な地なのである。それにしてもレマン湖の噴水はいただけない。この自然景観に何の不足があると言うのだろう。

 シオン城は遠くから眺めるだけがいい。そこを訪れても特にそれ以上の感動が待っているわけでは無い。さあモントルーからは山越えの鉄道ゴールデンパスに乗ろう。スイッチバック方式で段々とレマン湖が下に降りていくようだ。この山を越えれば独語の世界だ。

f:id:Bungologist:20210612095049p:plain


 カペル橋が待つルツェルンが終着駅になるが、ここは途中のインターラーケンで降りてグリンデルワルトに向かおう。アイガー、メンヒ、ユングフラウが眼前に迫ってくる。その見上げるばかりの裾野に広がる自然景観の中にアルプス特有の三角屋根のホテルや家々が点在し彩をそえる。この季節、スイスではどの家も窓辺に必ず花を飾る。法律でそう決まっているからでもある。スイスのもてなしの精神である。旅人に居心地が悪かろう筈がない。

f:id:Bungologist:20210612095218p:plain


 このグリンデルワルトとその後に向かうツェルマットでの山岳ハイキングはたとえ這ってでもやった方がいい。一歩一歩、歩く度に見渡すその絶景にため息が止まらないだろう。空気も美味いしカウベルの音が更に興をそそる。

 欧州最高峰のユングフラウの頂上までは、登山鉄道で、アイガー、メンヒの岩峰を穿ったトンネルを抜けて登る。氷室を抜けて展望台に出ると目の前に欧州最大のアレツチ氷河が寝そべっている。ユングフラウ、その名は独語で”乙女、処女”を意味する。となりのメンヒは”修道士”を意味する。何だかここでは手荒な振る舞いはやめたが良さそうである。それだからか、ここら辺りは優しい景観に見えてくる。

f:id:Bungologist:20210612095319p:plain


 荒々しい壮観な景色が欲しければ、ここからやや離れたラウターブルンネン渓谷に行けばいい。その岩壁の上からロープーウェイで更に登って辿り着くシルトホルンにもそういう景観が待っている。このU字型をした大渓谷は氷河が削って出来た跡である。信じ難い造形美だ。渓谷の絶壁からの絶景、シルトホルンからのアルプスの大パノラマ、もうこれで死んでもいいだろう。

f:id:Bungologist:20210612095416p:plain


 因みにユングフラウとシルトホルンの展望台は「女王陛下の007」のロケ地である。

f:id:Bungologist:20210612095511p:plain


 感動が鎮まった頃に氷河特急に乗ってマッターホルンに移動しよう。スイスのもっとも僻地にある。かつてはスイスの秘境である。その先は行き止まりとなる。我が佐伯地方のような僻地である。

f:id:Bungologist:20210612095559p:plain

登山電車 ユングフラウ(左) マッターホルン(右)

 感動が嫌が上にも増幅する事は請け合いである。抑えようがない。同じアルプスでもグリンデルワルトやシルトホルンとも景観が全く違う。天を突く、屹立する、とはまさにこういう姿を言うのであろう。登山鉄道で展望台まで登ると正面にマッターホルンが迫ってくる。威容であり、異様である。ここからの下りのハイキングにはマッターホルンが常に付き纏ってくる。もう一度、ここで死んでもいいだろう。

f:id:Bungologist:20210612095725p:plain


 グリンデルワルトやマッターホルンの景観に浸れば、如何なる事情を抱いた恋人達であろうと夢心地で死んでいけるだろう。全ての時間がそれだけの為に止まってくれそうな至福の瞬間を味わうがいい。あのノルウェーの世界に稀なるソグネフィヨルドの大景観でもこのような感動の矢に射抜かれはしない。如何なる者もこの地に立てば、恋人の胸を容易に射抜けるであろう。山の景観の究極とはそういうものなのである。

f:id:Bungologist:20210612095837p:plain

ノルウェー ソグネフィヨルド ベルゲン(出発地)

 それならば、ヒマラヤに行けばそれ以上の感動が待っているだろうか。いやいやあの硬質で豪壮な景観は、行った事が無いから断言は出来やしないが、恋人達には不向きに違いない。あれは畏れ多い神の領域であり、つまらぬ詮索はしない方がいい。神を己の楽しみの対象にしてはいけない。ここはアルプスで死んだが幸せであろう。

f:id:Bungologist:20210612100007p:plain

ルツェルン  チューリッヒ  ベルン

 いつの世も若者は旅に恋する。旅で恋する。今の世の若者はヴァーチャルの映像で済ましてしまうのかもしれない。それは不幸な事だ。青き時代にだけ許される旬の情感には決して浸れやしない。さあ旅に出よう。筆者も心の旅であるならば腰を挙げぬでもない。