梅雨の季節は良し悪しである。暑熱と湿気に不快感もあるが、しとしと降る雨とそれがもたらす涼気が心を穏やかにしてくれる良さもある。そういう時は田圃の稲達までが嬉々としているように映る。蛙も一際(ひときわ)五月蠅く鳴く。これはこれで風物だ。
東南アジアにはスコールがある。赤道近くでは年中、やや緯度が高い地域では夏季に、午後に決まって襲ってくる。日本の梅雨の降雨量の比ではない。もっともジトジトと長引く事は無い。一気にドンッと落ちてきて直ぐに収まる。
赤道付近では、マレーシア、シンガポール、インドネシア、ブルネイ、緯度が上がってミャンマー、ラオス、タイ、フィリピンを訪問した。何処でも午後には必ずスコールを浴びた。突然来るから逃れられない。人々が軒を求めて雨中を走り回る光景も風物といえば風物だ。それが妙齢の女性であれば何だか絵になるのだ。泰然として半裸で濡れそぼっている老人もそれなりの絵になる。セーラー服姿のあの日のあの子が手をかざして走っている姿がそこに重なって見えた。一時経てば光が散乱する空が何事も無かったの如く顔を出す。
スコールは特に熱帯雨林がある地域に特有の現象だ。地表近くの大気が熱せられ膨張し高気圧になる。熱帯雨林から止めどもなく水分がこの大気の中に蒸発していく。大量の水分を含んだ大気は上昇気流となって急速に垂直に移動していく。上昇すると大気の気温が下がり気圧が急速に低くなって、水蒸気は飽和して積乱雲を作る。ただ何しろその大気循環が早い。大気中の水分量が急増して一気に地上に落ちてくる。これがスコールだが、兎に角、膨大な水蒸気があちこちで急速に大気循環するので何処も此処も降雨の予測がつかない。
日本の梅雨は、地表に熱帯雨林ほどの水分量も無く熱エネルギーも少ないから大気は時間をかけてゆっくりと循環する。積乱雲はゆっくり大きく成長する。熱帯では雨は決して日本のようにそぼ降らない。潔く一気に怒涛の如く降る、というより落ちてくる。視界の風景は真っ白になって消える。傘は役に立たない。
ラオスは時がゆっくりと進んでいた。人も街も何処か遠い昔の風景の中にある様な気がしてくる。雨上がりのメコン川に赤い夕日が落ちていく様を見て、西方浄土とはあそこにあるのでは無いかと思うだろう。
ミャンマーにも同じ光景があった。兎に角、両国は森林が厚く濃い。だからスコールは轟音と共に落下してきた。
ボルネオ島では少々様相が違った。ボルネオ島のサラワクは一応マレーシアに属する。陸の孤島と呼ばれる州都クチンから車で北上した時の事である。密林がパックリと開いて地表が大きな傷を負っていた。野放図に森林が伐採されて延々と赤い地肌が剥き出しになっていた。まるで焦土のようだった。これでは大気に水を戻せない。スコールも何故か弱々しく感じたものだ。
同じサラワクの一角にあるブルネイは東南アジアにあってはシンガポールに次ぐ小国である。丁度、三重県と同じ面積であるが石油ガス資源のお陰で世界一の金萬国である。海岸に面した密林の中に忽然と現れる王国である。驚いた事に、ここには王様の私物のディズニーランドかユニバーサルスタジオか、それもどきの巨大なアミューズメントパークがあった(今は知らない)。どのアトラクションも最新で全く並ぶ必要が無かったが、閑散として気持ちは乗ってこなかった。幸いにもこの時はスコールは落ちなかったが今にも落ちてきそうな空模様ではあった。多分、王様の私物を濡らす事をこの日ばかりは躊躇ったのだろう。金に飽かしてあのマイケルジャクソンをここに招聘したそうだ。果たしてのんびりしたあのブルネイ人が躍動したのだろうか。
タイではバンコクもアユタヤも水没の覚悟がいる。バンコクの平均標高は1.5mほどである。年々地盤沈下しているから今は更に低いのだろう。スコールは市内のあちこちで洪水をもたらす。排水が出来ない。この国の国土の大半は標高が5mとないであろう。この国の川は流れないのだ。だから洪水も流れない。静かに水位を上げるだけである。バンコクは車も洪水である。こちらも流れない。
アユタヤは古都である。その遺跡群には感銘を受けた。石像建築が素晴らしい。スコール何するものぞ、という風に今も威風堂々と森林を突き抜けて立っている。16世紀、アユタヤ王朝は隣国のミャンマーに占領された。象が双方の主戦力であった。そういえば、はるばるローマを攻めたハンニバル軍も象を駆使した。ここには未だかつての日本人町跡が慎ましく残っている。山田長政の痕跡は何処にも見当たらなかった。
フィリピンは当時は至る所スラムだった。驚いたのは、郊外を車で走っても密林の中を通る一級国道にもかかわらず、その両脇は延々と途切れることなく掘っ立て小屋が並んでいた。自宅兼物売り屋台だ。国道の上に市場がある。スコールは容赦しない。小屋は任に耐えない。
半島側マレーシアもその先端のシンガポールも常にその海岸はミルクコーヒー色に染まっている。スコールが土壌を流し込んでいる。シンガポールは美しい国だが息苦しい。何だかスコールが全く似合わない国だ。
インドネシアにはその全てが揃っている。
梅雨はまるであの頃のあの子だ。火照る体と心を優しく癒してくれる。スコールにはそういう感情移入の余地は無い。雨の情感は日本にいてこそである。梅雨はいい。
最近は日本にもスコールがやってくるようになった。情感が養われなくなっていくのかもしれない。
了