海の向こうの風景

地平の更にその海の向こうに生きて来た日々

海の外に憧れ、そこにひたすら生きて来た。五大陸、四十数ヶ国に旅し、途中、サウジアラビアと米国に約八年間住み着いたものの、年月を重ねると望郷の念、止み難し。その四十有余年を振り返り長い旅を終えることとした。

塩野七生の恋人

 イタリア、この国の見方については、完全に塩野七生に変えさせられてしまった。感化されてしまったと言うべきか。それに塩野七生には恋人が多くて羨ましい。カエサルマキャベリチェーザレ・ボルジア、ロレンツォ・メディチ、その周辺にはいい男が溢れている、と思わされてしまった。いや彼らを生んだイタリアそのものが恋人なのだろう。もはや愛人と呼ぶ方が相応しいのかもしれない。

 

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 この国は世界でもっとも複雑な歴史を持っている。南北のそれぞれの地に違う政治勢力が併存し盛衰を繰り返してきた。ギリシャカルタゴローマ帝国教皇領、神聖ローマ帝国、ノルマン王国、ナポレオン領、目まぐるしい。周囲の政治勢力があちこちから食指を伸ばして来た。だから、あの国民性は、「もうやってられない、面白おかしく適当に生きていくよ」と腹を括った結果なのではなかろうか。

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 ベネチア、ミラノ、フィレンツェ、ローマ、ナポリを起点の旅を振り返る。

 フィレンツェからローマまでは、トスカーナ、ウンブリア地方を巡るドライブを選んだ。ドイツや英国とは全く違う素晴らしい田園風景が出迎えてくれる。丘陵とこれを覆う葡萄畑が真っ青な空の下に広がっている。その丘の上や山の上に中世都市が今も息づいている。ただ、これらの街では車は間違いなく迷走する。中世都市そのものがまだでしゃばっていて道幅が狭くその曲がりくねった迷路にやがて苛立ってくる事、請け合いだ。

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 ミラノとナポリはビジネスで何度か訪問している。だからナポリ近郊のポンペイも同じ回数訪問したことになる。流石に飽きて来たが偉大な遺跡である。二千年前の人々の暮らしが手に取るように分かる。

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 このナポリ辺りが南の訪問限界であったが、やはり北とは人種が違う。北アフリカ系、アラブ系の顔が多くなってくる。更に南に行けばもっとそれが濃くなるのであろう。この地以南は未だマフィアの世界も色濃く残っていると言われる。これが経済成長の阻害になっている。大手企業は投資を嫌う。南北問題はイタリアの長年の課題だ。

 

 もう一度、この国を北から南に下ってみよう。まずは「海の都の物語」のベネチア共和国、かつての貿易大国である。事実上、西欧への物資を独占的に供給する位置を得た。強力な海軍を持ち地中海貿易を取り仕切った。ベネティ人が外部勢力の侵攻から海に逃れた事に始まる。潟(ラグーナ)に木杭を打ちその上に街を作った。1500年を経過して、尚、木杭が街を支える。海中では木は腐らない、腐敗菌が存在できない。街では車や自転車は走れない。歩くか水上バス水上タクシーで移動するしかない。だからといって特に不便でも無い。サン・マルコ広場は対岸のサンタマリア・デッラ・サルーテ聖堂からの眺めがいい。この街はその成り立ちから橋がやたら多いが、カナルグランデを跨ぐリアルト橋とドゥカーレ宮殿と牢獄を結ぶ嘆きの橋を渡れば事足りる。道には犬のフンが多く運河も汚い。決して”ベニスで死す”気にはなれない。

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 ミラノはファッションで洗練された街の印象が強いだろうがそんな事は無い。街の色がくすんでいて汚い。鳩の糞で並木や建物は真っ白だ、は極端な言い方かもしれないが。ドゥオモ、ガッレリア、スカラ座で十分だ。ダビンチの”最後の晩餐”は事前予約制だから諦めざるを得ない。だがあの手の絵画は得意ではない。やはりイタリアの中心地だ。ワインと食事は美味い。もっともイタリアは英国と違い何処も美味いものだらけだ。

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 花の神フローラ、そのフィレンツェについては語る必要がないだろう。十分過ぎる情報が世に溢れている。何しろルネッサンスの勃興地だ。芸術の粋に存分に溜息をつける。メディチ家の街であり、その権力を盾に教皇を多く排出した政治的な街でもあったが、イタリアの花である事を誰も疑うまい。

 近くにピサがある。斜塔でなければこれ程の観光地にはなれなかっただろう。何よりフィレンツェの側で良かった。

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 トスカーナ、ウンブリア地方の光景は素晴らしい。ただ大抵の都市は山の上にある。サンジミニヤーノ、シエナペルージャアッシジ。イタリアの海岸は北アフリカからのイスラムの海賊に再三襲われた。塩野七生がそう書いている。だから不便だが防御し易い内陸の山の上を選んで住んだ、と推察した。もっとも疫病対策もあったかもしれない。ベストである。海岸では断崖絶壁の敢えて不便な地を選んで街を築いた。チンクエテッレやアマルフィは今では素晴らしい海岸絶壁都市であるが、元々はそういう背景から止む無く選択した結果であろう。日本の中世惣村と同じだ。自己防衛都市を作らないと誰も守ってはくれない。

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 サンジミニヤーノは摩天楼の如くの石塔群で名高い。田園の中の、なだらかな丘の上に忽然と異様な景観が現れる。かつては70以上の塔が林立していたそうだが、今は十数塔を残すのみである。最大の塔は50メートルを越え700年前から立っている。今にも倒れるんじゃないかと怖れながら登った先にある眺望に失望することはまず無い。

 アッシジフランチェスコ会を創設した聖フランチェスコの生誕地で聖地である。薄ピンク色をした石造りの街としても有名である。

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 ”終着駅”のローマ中央駅で車を乗り捨てる。ローマも敢えて説明不要であろう。ただ大好きなオードリーヘップバーンの”ローマの休日”は巡らざるを得ない。ここは君がヘプバーンの代わりだ。 

 

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今はサン・ピエトロ大聖堂は事前予約が必要と聞くが当時は勝手に入り込めた。その屋上までも登れた。それは壮観な眺めだ。それに神は高みにいる。入って右脇にミケランジェロの傑作ピエタがその大聖堂の圧巻の中に慎ましく収まっていることに何故か不釣り合いな気がした。

 ローマから更に南に下がったナポリは貧しさが漂う街だった。北の都市のような華やぎや豊かさに乏しい。よく言えば庶民的な街である。人々は北の白人系と違って、多くが、アラブ系、北アフリカ系の顔立ちをしている。アメリカのフロリダに降り立った時に、ここは中米そのものだと思った感覚に似ている。

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 ナポリ湾を南に車で辿ると、ポンペイを経て、ソレント、アマルフィに至る。ソレントを過ぎたその半島の岬からカプリ島が見える。ここはローマ皇帝の別荘地だった。島の白亜の絶壁の上にある別荘跡からはナポリ湾のその絶景に息を呑む。麓の海岸には青の洞窟がある。ナポリはカメオでも有名だ。ワインも食事も文句の付けようがない。この地の空と海の青はイタリアの何処にも負けないような気がした。貧しさなんて何処かに飛んでいく。ただ、「ナポリを見て死ね」というほどのものではない。

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 これ以南はノルマン朝神聖ローマ皇帝が支配した。特にシチリア島ギリシャカルタゴの植民地にもなった。未だ訪れた事が無いが歴史的に魅力溢れる地である事は間違いない。北の歴史に引けを取るものではない。更に古い歴史がある。

 塩野七生は北から南まで三千年のイタリアの歴史を、言い方は下品だが、舐め尽くした。いい男に巡り会えないはずが無い。冒頭の男達はそのほんの一握りの、それでも圧倒的な男達である。

 さて、このイタリアには同様にいい女もいたに違いない。塩野七生が男であったらどんなに魅力的な女性達を探し出したことだろう。嘆息も出ようというものだ。

 だが、二千年の大和撫子もこれに負けるものではない筈だ。男版塩野七生、出でよ。

 

了