海の向こうの風景

地平の更にその海の向こうに生きて来た日々

海の外に憧れ、そこにひたすら生きて来た。五大陸、四十数ヶ国に旅し、途中、サウジアラビアと米国に約八年間住み着いたものの、年月を重ねると望郷の念、止み難し。その四十有余年を振り返り長い旅を終えることとした。

地中海は棲みにくい

 地中海は棲みにくい。人間の話では無い、海の生物にとっての話だ。透徹した空とその下の紺碧の海、どうして棲みにくいはずがあろう。海が澄み過ぎて棲みにくいのである。

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 山のミネラルを運び込む河川が少ない。だから海水が澄む。乾燥しているから沿岸に森林が少ない。元々文明が多く興った地域であり森林はエネルギー資源として瞬く間に消えたことも原因かもしれない。益々乾燥する。河川も涸れる。だから海に栄養分が少ない。その分、海洋生物や海洋植物も少ない。海洋生物にとっては棲むに厳しい海だ。限られた河川の河口の近海に生存場所が制限されてしまう。その外に出ると食う物が無い。海の砂漠なのだ。

 加え、他の大洋に比べ地中海は表層海流も深層海流も弱い。さして動かない。狭いジブラルタル海峡を通って大西洋から流入する海水量に比較し、高乾燥による海水の蒸発量の方が多い。だから東の奥の方では塩分濃度が高くなる。これも海洋生物にとっては棲むに厳しい環境だろう。

 一方、ここでは人間は快適に暮らす。何しろ気候がいい。食うものにもさして困らない。後背地にふんだんに実りもある。なんといっても自然景観が素晴らしい。視界が全て真っ青、深い青だ。特にエーゲ海の島々の家々は白一色、兎に角、まばゆい。太陽熱を遮断する為の知恵だが、これが実に青によく映えて更に絵心を誘う。あくせく働く気になれようか。

 そういう人達が棲む、そういう地中海を囲む国々の多くを旅した。時計回りに、スペイン、イタリア、ギリシャ、トルコ、キプロスイスラエル、エジプト、リビア。地中海を概ねぐるりと回った。だが、これらの沿岸国において日本のような、”母なる海”といった情感が養われてきたか疑問である。日本人には異なる海である。

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 多島海エーゲ海が一頭抜ける。その上に数々の歴史遺産も残っている。ワクワクしない方がおかしい。ただ何処も緑に乏しい。薄茶け殺伐とした岩土の上の僅かな草地に人々が畑を営む。本来、貧しい土地であり今もそうだ。だが、人々は幸せに生きているように見える。この点は大事ではないかと訪れる度に思う。大家族主義が未だ生きていて、隣人愛も見え隠れして、何だかいいのだ。住んだことがないので何でも都合よく捉えるせいかもしれぬが、接してみると他の国の人々よりは確かに何かが違う。やはり幸せの在り方を自然に知らぬ間に受け継いでいるのだ。最近は観光にどっぷりと生活を依存しているやに見える。幸せが逃げていく。

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 アテネは貧しさが漂う街だ。過去の栄光に頼って余命を保っているようだった。緑がない。冬に珍しく雪が降って、小雪の中に浮かぶ麓から見上げる夕闇のアクロポリスとその上のパルテノン神殿が幻想的で我を忘れた。神殿は側で見るとまるで男性的でおよそ優美の欠けらもないのが意外であった。夏は、今や中国にその使用権を売却してしまったが、アテネの港町ピレウスの野外での魚貝料理が美味い。夏でも高乾燥の為、日陰は凌ぎやすい。

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 アテネからバスで3時間ほどでデルフィに着く。”デルフィの神託”で有名だ。古来、ここのアポロン神殿の神託は真実であると信じられてきた。治世者は機会ある毎に遥々この神殿を訪れた。山腹には確かに神託が降りてきそうな、それらしき雰囲気が残っている。道すがらの景色も悪くない。ただ山肌は禿げて森林は乏しい。これでは鳥獣も住めないだろう。ギリシャ全土がそういう地勢に違いない。何しろ歴史が長い。文明あるところに自然破壊は避けようが無い。ともに文明も消えていく。

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 海に出よう。この地の多くの人々は海に生きてきた。この乾燥地域に島に水の確保は困難であったろう。雨水に頼ったと想像すると極限の生活を思わざるを得ない。

 エーゲ海最大の島はクレタ島である。ミノア文明の地だ。ギリシャ神話の舞台でもある。クノッソス宮殿跡は必見だ。紀元前二千年の建築物が今も残る。まさに迷宮、ラビリンスだ。ミノタウロスの世界が迫ってくる。

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 ミコノス島は当時から最も人気のある島であったが、あまりに観光地化が進んだ印象が強い。当時は物おじしないペリカンが雑踏に闊歩し一役買っていた。今は更に俗化しているのであろう。そうだとするとこの島から幸せは既に去って久しい。

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 ロードス島オスマントルコを射るような位置にある。素晴らしい海と歴史遺跡が残る。14世紀初頭、聖ヨハネ騎士団が占領し16世紀にオスマントルコに落城、騎士団は遥か西方のマルタ島まで退去した。塩野七生を読めばつぶさに教えてくれる。

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 ところでロバは強靭な脚力を持っている。カルデラ火山の火口の縁が海に沈まずに取り残されて出来たサントリーニ島は海面から登っていくのが一苦労だ。この見上げるばかりの急勾配の崖道を大人を乗せてロバが苦もなく健気に登っていく。東方に浮かぶロードス島でもリンドスのアクロポリスに登るのにロバに乗ったが、この小さな体で平気でトコトコとフラつくことも無く登っていく。ロバに感銘を受けるとは想定外だった。ラクダにも何度か乗ってはみたがロバに軍配だ。強健で粗食、この動物は間違いなく役立つ。しかも地中海に似合う。

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 凪いだ海に浮かぶ島々に夕陽が実によく映える。純白の家々に橙色の残光が重なってそれはそれは美しい。一旦、ここで君と死のう。

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 キプロスは地中海の東方、トルコとシリアから等距離の海上にある。北半分はトルコが占領したまま現在に至っている。首都はニコシアだが乗り継ぎのラルナカに降りた。そこから山間部のレフカラという小さな山村に行く。レフカラレースで有名だ。今や欧州の美しい村の一つらしいが、当時は何の変哲もない侘しい山村であった。キプロスはこのレースの記憶しか語るものがない。

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 リビアには素朴さが残っていた。カダフィ大佐が未だ政権を牛耳っていた懐かしい時代だが、当時は直行便はない。閉鎖国家の故である。隣国、チュニジアチュニス旧宗主国のパリから飛ぶ。ここを経由しないと首都トリポリには入れなかった。トリポリからベンガジにも飛んだ。両地域間の貧富の差は隠せない。ベンガジは反政府的な土地柄というか部族が違う。アラブ世界はどこでも部族が国に優先する。国土のほとんどは砂漠である。サハラ砂漠が迫っている。沿岸に痩せた土地が僅かにあるだけだが、かつてはローマ属州としてその食料供給を担った。今でも多くの遺跡が残る。その遺跡を無造作にレストランとして使用している。市民の大らかな気風を好もしく思った。観光で行く国ではない。無論、女性の旅などもっての外だ。

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 エジプトとイスラエルはもういいだろう。いずれもよく知られた国々である。

 紀元前15世紀頃よりこの海にフェニキア都市国家を営み、遠洋航海に乗り出し沿岸全域に交易を始めた。カルタゴが植民都市として有名である。当時は地中海南岸(北アフリカ)の方が先進地だった。歴史とともに地中海北岸へと勢力が逆転してしまった。フェニキアの末裔達は海賊に転身し、この北岸に略奪の船を漕いだ。これも塩野七生に詳しい。

 いずれにしても多くの文明を揺籃し、世界の歴史を動かした海である事は否定しようがない。訪れて損を見ることはない。

 この海は夏がいい。日焼けを気にするようでは止めた方がいい。そのかわり、永遠にその感動を手にする事はない。

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了