川は文明を産んだ。いずれも大河である。だが大河に魅力を覚える事はあまり無い。もっともナイル川以外の大河の側に立ったことがないのだから、そう言い切ってしまうのもどうかとは思うが、兎に角、対岸が微かに遠くに見えるような川は興味がない。それに、大抵、白濁していて興を殺ぐ。
川は古都の懐を流れてこそ好ましい、生きてくる。丘や窓辺や畔から眺める時、川は何故か人を感傷的にさせる。その地の歴史や人の想いを想像させてくれるからだ。都市を営む事を可能にする川だから、そこそこ大きな川である。勿論、対岸は明瞭に視界に収まる、古い橋があれば、尚、川は生き生きとしてくる。
それにも増して好ましいのは、山野を流れる清冽な川である。都市の川よりは小振りのせせらぐ川である。音が流れる川である。眺めて飽きる事が無い。
その名前の響きにも左右されるであろう。幼い頃から瑞々しい十代の頃までの柔らかな記憶に深く刻まれている名前だからだ。文学、音楽、芸術、それぞれを通じて身近に感じる川である。
エイヴォン川、凡そ450年前、シェークスピアがこの川の流れるストラットフォードに生まれ、その生家が今も残っている。若き天才も、多分、この川で幼い頃、水遊びに興じたに違いない。小さな田舎町の小さな川だが緑に覆われた大地に曲線を描くように静々と流れていて、土手が低く視線の位置に流れる優しい川だ。シェークスピアが生まれていなければ、注目される事のない、英国では、多分、平凡な川だ。
アルノ川、フィレンツェを流れる。この川はここに架かる橋で有名になった。ヴェッキオ橋である。メディチ家の両岸にある豪壮な宮殿を行き来する為の屋根付きの二階建ての回廊がついている。700年程前から残っていて、一階の両脇には宝石屋が居並ぷ。川そのものは、中程の僅かに残された空間から覗き見出来る程度で、歩く限りにおいて橋とは思えない橋である。だが、この橋が川を絶景にした。
ネッカー川、ヘーゲルやマックスウェーバーが教鞭を取ったドイツ最古の大学のあるアルトハイデルベルクを流れる。峡谷を流れる川で、優美なアーチ型の古い橋が興趣を副えていて、流れは結構早い。その中腹には古城が残る美しい街である。学問の街を流れるだけに気高い川に見えてくる。ライン川の支流である。今も心に流れる川である。
ネヴァ川、サンクトペテルブルクを流れる。というか街がこの川の三角州の上にある。既に河口である。芸術と革命を想起させる川である。河岸にエルミタージュ宮殿があったが故に、この河口から革命の狼煙が上がった。芸術を育んだ川でもあるが、どちらかと言えば、王都だっただけに政治的な印象の強い川である。
モルダウ川、ブラハを流れる。この川があってこの街の美しさや華やぎがある。川はこの町でくの字に流れる。くの字の角の丘の上にプラハ城が佇み、手前にカレル橋が架かる。600年前から架かる。橋そのものが芸術である。街はこの橋とともに見事な景観を作る。カフカが生まれ生涯の多くを過ごした。スメタナの交響詩”モルダウ”が聴こえてくる。郷愁を刺激して止まない曲である。この川なくしては生まれ得ない曲であろう。この曲が故に、今も心に流れる川である。
ライン川はそれらの全てを満足させてくれた唯一の川だ。この川は河谷を形成した。河谷の続く限り、景観を重視し極力架橋を排除している。流れに沿って上流から河口のロッテルダムまで、またその逆向きに船や車で並走した唯一の川である。古都、古城、ワイン畑、途切れることなく両岸の景観に彩りを添える。
ローレライは心で見よう。うかうかしていると、つい見逃してしまう、ありふれた岩山だ。
ついでではあるが、ローマのテベレ川も入れておこう。何しろこの川にオードリーヘップバーンがギターを振り上げ躍動する、その映像の記憶が離さない。
残念ながらアジアには記憶に鮮やかな川に乏しい。せめてビエンチャンから見るメコン川の夕景を入れるにとどめる。ただ、対岸はタイであり街の懐を流れてはくれない。
そうそう、我が番匠川は別格である。好き嫌いの問題では無い。我が精神そのものだ。我がモルダウである。
君が隣にあれば、どんな川でも、心に流れ始めるに違いない。
了