海の向こうの風景

地平の更にその海の向こうに生きて来た日々

海の外に憧れ、そこにひたすら生きて来た。五大陸、四十数ヶ国に旅し、途中、サウジアラビアと米国に約八年間住み着いたものの、年月を重ねると望郷の念、止み難し。その四十有余年を振り返り長い旅を終えることとした。

ダンスはうまく踊れない

 世界には様々な民族舞踊がある。大体はどこでも観光用のショーとして鑑賞可能である。舞踊は夜が似合う。

  一番驚いたのはアルゼンチンのブエノスアイレスの街路を歩いていた時のことだ。情熱的でメリハリの効いた音楽がビルの谷間に反射して響いて来た。若い男女が人通りを気にする事もなく、平日の昼日中、道の真ん中でタンゴを踊っていたのである。まるで自分達だけしか存在していない風で、表現は悪いが、くんずほぐれつ、の強烈な動きが目に飛び込んで来た。ここではこれが当たり前の光景らしいが、一瞬、意識が日常から飛んでしまった。

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 タンゴはイベリア半島から植民地時代にラプラタ河口域に伝わったらしい。ブエノスアイレスはラプラタ川の河口にある。因みにこの川は世界で最も広い河口を持つ。アルゼンチンと言えば今でもこの記憶しか出て来ない。ピアソラの音楽を聴くたびに思い出す。

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 次はエジプト起源のベリーダンスである。エジプトやトルコ、ギリシャ辺りで観る事が出来る。何時でも観ることが出来る、と高を括っていたのが災いして、これらの国々では観る機会を逸してしまった。偶然にもアブダビのダウ船クルーズで酒を飲みながら観る事が出来た。イスラム教では女性が肌を見せようものならしょっ引かれる世界である。しかも観客は側で酒を飲んでいる。もっての外である。よもや湾岸諸国にそういう機会があるとは想像もしていなかった。そこら辺もあってか、踊り子も心なし控え気味であったような気がする。あの迫ってくる妖艶さを欠いていた。

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 最近では日本でもベリーダンスが盛んである。最近、日本のトルコ料理店で二度もこれを観る事になった。こちらも控え気味な大和撫子の踊り子であった。死ぬまでに一度、本場のベリーダンスを見てみたい、などとは最早思わぬ歳になってしまった。

 ただフラメンコはバルセロナで二度も堪能する機会を得た。スペインでも本場は最後のイスラム王朝グラナダに終焉したアンダルシア地方である。フラメンコには放浪の民ロマやムーア人の影響が濃い。また、この地の方言で歌うからスペイン語とは思えない、まるで聴き慣れない言葉である。哀歌であり触れ難い激しい魂の踊りであり、歌も踊りも胸を突き動かされる様だった。その歌は腹の底から呻く様に湧き上がって来て周りの空気を震わせた。メルメのカルメンの世界である。ジプシー女の情熱とこれを愛する男の破滅の物語である。この小説をもとにビゼーが後にオペラにした。ムーア人の去っていく落日のアルハンブラ宮殿の哀愁にも重なってくる。これは舞踊の域を超えていると感嘆した。

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 今振り返れば、様々な舞踊を楽しめたはずである。アイリッシュ・ダンス(アイルランド)、ポルカチェコ)、インド舞踊、タイ舞踊、韓国舞踊、等々、どの国にも必ず民族舞踊がある。そのほとんどに気づかぬまま今に至ってしまった。後の祭りである。

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 さて、かく言う我々にも舞踊(ダンス)への思い出は多いのではなかろうか。10代の頃、君と踊ったフォークダンスである。甘酸っぱい思い出が詰まっている。マイム・マイム 、コロブチカ、ジェンカ、バージニア・リール、オクラホマ・ミキサー、そのメロディを聴いて懐かしい日々を思い出さない者はいないであろう。誰しも決して忘れてはいないはずである。これらも民族舞踊なのである。

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 人間は成長と共に少しずつ己を汚していく。ハレムまがいのベリーダンス、クレイジー・ホースの”芸術的”ヌードダンス、ムーラン・ルージュフレンチ・カンカン、楽しんで何が悪い。一度はそういう世界を通って行くのである。汚したものは洗う事も出来る。それが、君と踊ったフォークダンスなのである。誰しもがそれを忘れられないのは、その故なのである。

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  筆者が世界で一番好きな舞踊は、”おわら風の盆”と”阿波踊り”の女踊りである。男踊りに興味は無い。

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 おわら風の盆の女踊りは、深く被った編み笠の中に想像する面差しと、浴衣姿のゆったりとした品の良い舞の仕草が、堪らなく憧れにも似た愛しさを誘う。阿波踊りも同じ衣装であるが、こちらは浴衣をからげてリズミカルに舞う。その上下左右にテンポの良い艶やかな舞い姿と、裾よけの色気に目が眩んでしまいそうだ。いずれも編み笠は必須である。それぞれが大和撫子の静と動の究極を表現していると思うのである。それを合わせ持つ君こそが、男の憧れなのである。

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 ところで娘の結婚式はバルセロナだった。街が一望出来る丘の上の野外パーティーであった。欧米式では最後に”ラストダンス”と”ファーストダンス”がある。ラストダンスは父親と娘の最後のダンスである。そして新郎に娘を渡して彼らのファーストダンスが始まる。

 直前になって娘に、「お父さん、ダンスあるから練習しておいてね。」とぞんざいな言い様だ。しっぺ返しが来たと思った。あたふたしたが仕方がない。妻に頭を下げ、ボックス・ステップだけに絞り込み何度も何度も練習して臨んだ。

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 アメリカでは高校最後の歳にプロムと呼ばれる舞踏会がある。娘が参加したかどうかは忘れた。ウイーンでは新年になると国立歌劇場で若者達がワルツを舞う。いずれも、いわば大人の世界へのデビューである。人生の区切りに舞踊が介在するのは案外悪くない。

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 日本ではまさか盆踊りで済ます訳にはいかない。舞踊は嗜みとして必要かもしれぬと、その時だけは思ったものだ。

 付け焼刃では、ダンスはうまく踊れない。

 

了