海の向こうの風景

地平の更にその海の向こうに生きて来た日々

海の外に憧れ、そこにひたすら生きて来た。五大陸、四十数ヶ国に旅し、途中、サウジアラビアと米国に約八年間住み着いたものの、年月を重ねると望郷の念、止み難し。その四十有余年を振り返り長い旅を終えることとした。

鬼が曳く サウジアラビア回想(2)

 アラビア半島の東西の沿岸地域はいずれも冬期を除けば湿度が尋常ではなく高いが、リヤドは通年を乾燥しきって灼熱下でも汗さえ存在を許されない。極寒の極地で瞬時に水が氷るがごとく、この地では水分は瞬時に蒸発してしまう。急に息を吸い込もうなら即座に鼻腔を火傷する。微生物は存在することさえ不可能な乾燥しきった不毛の地だ。この為に幸いなるかな疫病が発生することは無い。炎熱の呵責な長い夏季とでもいうものが終わると、猛烈な砂嵐が襲ってきて地表のすべてのものを磨り取っていく。微細な砂塵は家の中さえいとも容易くいつの間にか進入してきて、そこに住む人々の肺の中にさえ密かに忍び入って来る。やがて冷え冷えとした乾燥した冬が訪れ、時に降雪もある。春は瞬時に去って、また呵責な炎熱の日々が戻ってきて人々を苦しめる。悪魔が日がな威を振るい、人々は優しい夜を心待ちにする。

 

 大地は何も恵んではくれない。オアシスを除けば植物が生成する余地はない。自然淘汰の結果なるか、そこにはナツメヤシのみが一年を通じての生存権を得た。熟すと黒糖のような甘い実をつける。この地の唯一の特産品であり外国からのビジネスマンにとっては唯一の土産品となる。この国は出来れば外から人が入ってきて欲しくない。だから国作りに有用な海外からのビジネスマンを除いては観光客は入国が出来ない。

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  春先に数日降る雨は大地に小ぶりながら様々な花々のカーペットを敷く。花々が受粉を済ませればやがてカーペットは失せ、その種は大地に潜りこんで次の年へ命を繋ぐ。受粉を担う虫たちはどこから湧き上がってくるのであろう。同じ僅かな時間に生成し役目を終えて死滅していくのであろう。

 

 さにあればこそ、人々は同じ人々から生きる糧を奪うこと無しにこの地に生きてはいけない。大地は何も恵んではくれない。大地はただひたすら苛酷で呵責であり続けてきた。大地は畏れ敬う対象にはならない。自然崇拝の宗教が起こり得る余地はない。その収奪を正当化すべく、あるいは収奪者として地位を確固とすべく、イスラムという宗教を成立せしめ生活の中心に据えた。異論はあろう。

 

 且つては王都リヤドを東から西から北からはるばるとベドウィンの隊商達がひとこぶラクダを駆って通り過ぎて行った。リヤド郊外には今も人々がラクダを放牧するが、その役割も減じた。競馬ならぬラクダ競争だけは熱して止まぬが、旗手は体重の軽い少年に制限されていて少年達を危険に晒す。且つてはこの少年旗手の確保の為に人さらい、人買いが動いた。少年旗手に鞭うたれ、ひょうひょうとして走るラクダは疾駆と言うには程遠く微笑ましい限り、観衆の興奮も今一つ競馬の如くには盛り上がってこない。

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 定かならぬも人の曰く、且つてのベドウィン達は水分を補給することなく一週間を旅に耐えることの出来る超人達であったと。月の砂漠でこその移動であったに違いないが、今も使われるイスラム暦太陰暦であるのも道理であろう。ただ季節と暦が整合せず年に十一日程のずれが生じる。世界中から巡礼者が押し寄せる巡礼月が夏季に移動してくると、これはもう地獄と隣り合わせで、人々は押し合いへし合い高湿度の炎熱下に圧殺される覚悟がいる。時に海外から巡礼者が持ち込んだ疫病が、この地の湿潤と一時的な稠密な人口との生存環境を好感し、一気に蔓延して巡礼者を苦しめる。

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 加え、その視力は遥か遠方の陽炎の下の小動物の動きさえ捉える能力があったと。地上に生きる如何なる糧も逃すことなく奪取しなければ自らが息絶える。人類の不幸なるかな、その超人種は二十世紀初頭にこの地の東方に石油がこんこんと湯水の如く湧き出てくると時を置かず、その遺伝子を消し去っていった。かつての修行者の如くに細々として且つ筋肉質の強靭な肉体は、今やその鎧を剥ぎ取られて丸々と膨張し、クーラーの効いた車無しには移動がままならぬ人種にその末裔達を変えてしまった。それでも今も尚、末裔達は沈む太陽を待ち、日本人サラリーマンにとっては望むべくもない別荘の如くのマイホームから這い出てきて、郊外の土獏に豪奢な絨毯を広げ星辰の下に緑茶の如き色をしたアラビアンコーヒーを愛で、テントの下に暮らした古の記憶を暫し辿る。その味は苦くはあるが疲れた身を癒し覚醒感さえ生じさせて止まぬ。甘きナツメヤシの実はコーヒーの友として欠かすことが出来ない。

 

 その風土を想像すれば、ここはこの苛酷の大地に体を進化させてでさえ命を繋いできた鬼のような人間達の棲家に違いない。容赦のないおどろおどろしい人間達の棲家に違いない。その鬼達に善男善善女が曳かれていく。

 

 それにしても何故にかような徹底して生命を拒む苛酷な土地に、人々が何千年の時を暮らしてきたのであろう。五、六万年前に人類が母なるアフリカを旅立ち地球の隅々にまで進出し終わるのに千年で足りた。地球の円周が四万キロメートルである。太古の人々が食料を求めて狩猟採集に年間に歩行移動していく平均的な距離は、三十キロメートル程だという。地球を周回したとしても僅か千三百年あれば済む。六万年をこの地に留まり続ける理由は無い。棲みやすい地には容易に辿りつけるはずであろう。何故にここに定住し不自由を甘んじて受け入れてきたのであろう。人類の偉大なる環境適応能力に太郎は感動して止まない。

 

 人は言う。かつてはこの地この半島は緑豊かな沃野であったと。今もかつてこの地に降り注いだ雨や霰や雪が地下に染み入り化石水として満々と水をたたえていると。同じ経度の北アフリカの砂漠に豊かな川が流れて人の住んだ痕跡が残る。気候変動による乾燥の訪れとともに、人類の祖先達はこの地を捨てアフリカを後にした。単に地軸の傾き加減が悪さをしたに過ぎない。何も鬼の祖先が苛酷な風土を好んできたのではないだろう。その化石水を汲み上げて、今は半導体のウェーファーのような形をした緑豊かな農地がところ狭しと地表を覆い尽くす。コンパスの動きをする自動散水機にとっては円形農地が最も作業効率がよい。汲めども汲めども化石水は尽きることがない。鬼どもが手厚い政府の農業促進の補助金を得て、遂には中東最大の農業大国を営むに至った。この地にさしたる消費地はない。税金も無い鬼たちの地上の楽園の産物は輸出商品として近隣市場を制覇していく。鬼は笑いが止まらない。更に多くの善男善女を曳きに来る。

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 かつて土漠の貧相なテントに住み羊やヤギを追った人々は、今や周囲を厚く高い塀に囲まれてその内側の大きな空間を取り込んだ家族の数を上回って余りある部屋を持つ大層な家に住む。尽きぬ水と尽きぬ電気、税金もなく医療も教育も無償で豊かな生活が保障されてきた。尽きぬ生活水はアラビア湾で海水を淡水化して巨大な鉄パイプで延々とリヤドまで河川の逆流するかのごとく運ばれてくる。余った水は人工的に緑化された街路樹に朝夕に散水されていく。膨大な溢れる水は地中深く浸潤していくこともなく、瞬時に地表から大気に帰っていく。最早かつてのように天から補充されることのなくなった化石水は、農業用水に使用を制限され何とか枯渇を免れてきた。電気はこんこんとわき出す石油を燃やし国の隅々まで送り届けられ、浴びるように消費しても尽きることは無い。かつて土漠の暑熱と砂塵の中に家を切り盛りしてきた鬼の妻達は、豪勢な暮らしに慣れきって、家事育児に最早飽きて自ら動くことはしない。侍女や料理人や掃除婦を何人も抱えてこの世を謳歌する。石油の井戸は汲めども尽きることが無い。鬼の妻達は丸々と太ってこの世を謳歌する。夫達は妻の為に善男善女を曳きに遣る。

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次稿に続く。