海の向こうの風景

地平の更にその海の向こうに生きて来た日々

海の外に憧れ、そこにひたすら生きて来た。五大陸、四十数ヶ国に旅し、途中、サウジアラビアと米国に約八年間住み着いたものの、年月を重ねると望郷の念、止み難し。その四十有余年を振り返り長い旅を終えることとした。

Parkways

 休日にはParkways(乗用車専用の高速道)を運転するのが好きだった。2000年台初頭の話だ。今でも緑のトンネルを潜って走り抜ける光景を思い出す。まるで映画のシーンの中にいるような感覚に浸れた。

f:id:Bungologist:20210515184117p:plain


 事務所のあるマンハッタンと自宅のあるマンハッタン北部ウェストチェスター郡との通勤は鉄道を利用した。グランドセントラル駅が終着駅でこの駅も映画のシーンによく出てくる場所だ。事務所もマンハッタンの中心街、East sideの55丁目で一つ通りを過ぎると五番街に出た。社長室はまさに空中楼閣といったところだった。そう、ニューヨークに住んでいると何だか自作自演の映画を撮っているような気分になれたのだ。今や雲泥の生活である。

f:id:Bungologist:20210515184144p:plain


 鉄道は隣のコネチカット州からも多くのビジネスマンが通勤に利用した。列車はそれぞれ駅をずらして停車したから不公平感が緩和される仕組みになっていた。上流と中流での乗車量がうまく調整されていたという訳である。駅まで車で行く。家族も必要だから車は2台いる。そこがサウジアラビアと違う。運転手がいない。勿論、帰宅まで駐車しておくが無料だ。改札は無い。そのまま駅舎を通ってプラットフォームで列車を待つ。料金も通勤時間帯とそうでない時間帯で差別料金になっていた。大概は座れた。三人掛けのソファーのような席だった。それでも車両は古いし時間通りに到発着した試しがない。列車はマンハッタンに入ると地下鉄となりGrand Central駅に終着した。そこから事務所までは歩いた。摩天楼の中を歩くのも意外と恰好がつく。

f:id:Bungologist:20210515184210p:plain


 帰りは列車が何番線のホームから出発するか直前まで分からない。皆がGrand Central駅のホールで顔を見上げて表示板を見つめる。表示された途端にいそいそと出発ホームになだれ込んでいく。ここら辺が面倒な国だ。

 

 移民時代の人々は出身国別に住む場所を開拓した。このウェストチェスター郡には今もその名残がある。それぞれの町の名前でそれが分る。筆者はイタリア系の町に住んだ。隣はフランス系の町だった。フランス系は無理、似合わない。更に北にいくとロシア系や東欧系の町もあった。アメリカといえども、所詮、民族の坩堝にはならないのだ。それはマンハッタンに住んでも同じだ。

f:id:Bungologist:20210515184230p:plain


 マンハッタンは縦長の変成岩で出来た島である。その上にハリネズミの針のように細いビル群が突き刺さっている。その北側に左手のハドソン川と右手のロングアイランド湾の間にくさびを打ち込むようにウェストチェスター郡が割り込んできて接している。因みに右手のロングアイランド島はかつて氷河にここまで運ばれてきた残土で出来ている。いわば当時の氷河の先端部分だ。ハドソン川ニュージャージー側は断崖が上流に向かって延々と続く。パリセード岩床という。ここで太古にパンゲアが沈み込んだ。両州の地盤は氷河が通過した岩塊の跡といっていい。その上に薄っすらと土壌が被さっている。農地には不向きだ。

f:id:Bungologist:20210515184249p:plain


 交通網は南北に発達している。大まかにいうと、左右、中央とParkwaysと鉄道がそれぞれ三本、マンハッタンを目指して流れ込んでいく。無論、これとは別に高速道路もある。対岸のニュージャージーに行くにはジョージワシントンブリッジを通って高速道路で渡る。そうでなければ遥か上流まで遡って別の橋を探さねばならない。タッパンジーブリッジが架かっている。こちらの方が橋は低いが長い。

f:id:Bungologist:20210515184312p:plain


 すべてに自然が優先される。ニューヨーク郊外では人は大自然に溺れるように住んでいる。兎に角、国土がとてつもなく広い。小さなニューヨーク州の一角でもそういう豊かな自然が広がっている。郊外に住む人々にとっては、車はもう草臥れたようなヨタヨタ老人であろうと必須だ。でないと何処にも出かけていけない。近くで何も手に入らない。隣近所が遠い。孤独死が待っている。

 

 これに一般道路が森を縫って走る。一般道路の運転は特に危険が伴う。自然動物園に住んでいるようなものだから動物にはしょっちゅうぶつかる。鹿が出てきたら一巻の終わりだ。突然の小動物には申し訳ないが、はねさせてもらう(あくまで誇張です)。路上にはリスの死骸累々である。偶にスカンクや七面鳥が横切る。これははねるべきかどうか悩ましい。

f:id:Bungologist:20210515184335p:plain


 Parkwaysを利用して休日はマンハッタンによく出かけた。マンハッタンの周囲を走る道路もParkwaysで大型車両は通行できない。米国では高速道路は無料である。だからゲートのような野暮なものは無い。そのまま流れに乗ればいい。そうは言っても中々そのタイミングを計るのは難しい。ドイツもそうだった。アウトバーンに乗るのは結構度胸を要した。その通過スピードは米国の比ではない。

f:id:Bungologist:20210515184548p:plain


 マンハッタンでは五番街もタイムズスクウェアも自分で運転するのだから刺激的でない筈がない。縦に走る通りをAvenueという。横に走る通りはStreetという。ただ、どの通りも一方通行である点が安全といえば安全であった。

 

 そうParkwaysである。まずは走り巡る周囲の風景が素晴らしい。概ね森の中を走る。それぞれの車の流れが美しい。適当な起伏が心地よい。秋は紅葉に目を見張る。冬はどんよりと寂しいが雪景色は悪くない。夏は快適だ。湿度が低く爽やかだ。緯度でいうなら青森市の当たりになる。9時過ぎまで明るい。午後遅くからでもゴルフが可能だ。

f:id:Bungologist:20210515184515p:plain


 走っていると家に帰るのが勿体なくなる。別の道を走りたくなる。どこまで行っても飽きることがない。オープンカーが様になる。流石にそんな車は買えない。オープンカーは街中で走る車ではない。偶に日本で街中を、それも冬でもオープンカーで走っている人を見かける。全く理に適っていない上に似合っていない。いつも車に同情を寄せる。オープンカーで走ってみたかった。それだけは悔いが残る。

 

 アメリカには素晴らしい自然と、これと共に暮らす、一見、羨ましい住環境がある。だが、長く住むと何かが物足りない。街角から歴史の匂いが漂って来ない事は致し方ない。ただ、圧倒的な自然の前に、その地表から人間の生活温度が伝わって来ないのだ。何だかそこに無機質な感覚さえ覚える。

 

 ふと思い当たった。里山が無いのだ。人と自然の間に曖昧な空間が存在しないのだ。グレーゾーンが無いのだ。双方の空間が滑らかに繋がっていかないのだ。双方が勝手にあり遠慮も無い。だから渾然とした暮らしの空気が漂ってこない。確かにこの自然に、歩いている人をまずもって見かけない。車だけが動いている。

 

 これは日本の都会人にも分からない感覚かも知れない。地方出身者には分かって欲しい気がするが、如何なものであろう。

 

 そう思うとParkwaysを疾駆するのも何だか虚しくなって来たのだ。